区分 | 名称 | 年代 | 指定年月日 | 所有者・管理者 |
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県 | 絹本著色仏涅槃図 | 鎌倉 | 昭和62年3月30日 | 少林寺 |
県 | 絹本著色一休宗純像(朱太刀像)墨渓筆 附一休和尚像板木 | 室町 | 平成26年1月17日 | 少林寺 |
県 | 絹本著色一休宗純像 墨渓筆 | 室町 | 平成26年1月17日 | 少林寺 |
市 | 絹本著色光明本尊 | 室町 | 昭和50年10月23日 | 赤野井西別院 |
市 | 絹本著色山越阿弥陀図 | 室町 | 昭和50年10月23日 | 西隆寺 |
市 | 絹本著色大谷本願寺親鸞聖人御影 | 室町 | 昭和52年4月30日 | 聞光寺 |
市 | 絹本著色筋後光正面阿弥陀如来画像 | 室町 | 昭和56年4月24日 | 慶先寺 |
市 | 絹本著色親鸞聖人御影 | 室町 | 昭和56年4月24日 | 慶先寺 |
市 | 絹本著色仏涅槃図 | 室町 | 平成9年4月1日 | 観音寺 |
市 | 絹本著色十王図 | 室町 | 平成9年4月1日 | 観音寺 |
市 | 三十六歌仙絵 | 江戸 | 平成9年4月1日 | 天満宮 |
市 | 絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図 | 室町 | 平成28年1月15日 | 少林寺 |
矢島町の古刹、少林寺に伝わる仏涅槃図は縦長幅横形式です。釈迦入滅の様子が描かれているものを涅槃図と呼びますが、中央に沙羅双樹に囲まれた宝台上に右手を手枕にして横たわる釈迦の姿を大きく表現しています。周囲には、死を嘆き悲しむ諸尊や鳥獣を配し、右上には雲の乗った摩耶夫人が阿那律に導かれて降りてくる様が描かれています。このような構図は鎌倉時代以降に多く見られる定型化したものです。肥痩のある屈曲の激しい描線を多用する的確な描き方は宗元画の影響を受けたものでしょう。また、朱、緑青、橙、白緑などの色彩を用いて、全体に落ち着いた明るい色調で仕上げています。鎌倉時代後期の作で、数ある涅槃図の中でも優品です。
名称 | 仏涅槃図(ぶつねはんず) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | S62年3月30日 |
時代 | 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市矢島町1227(少林寺) |
室町時代中期に活躍した臨済宗の僧、一休宗純(1394~1481)の頂相(ちんぞう)(=禅僧の肖像)です。本図を伝える少林寺は、室町時代の文明年中(1469~87)に、一休の高弟(=最も優れた弟子)である桐岳紹鳳(とうがくしょうほう)が開きました。
画面上部に享徳元年(1452)12月の一休自賛があり、一休59歳の肖像であることがわかります。竹箆(しっぺい)(=竹でできた僧侶が持つ棒)を手に取り、左足を踏み下げて曲彔(きょくろく)と呼ばれる椅子に座っていますが、曲彔の脇に長い朱鞘(しゅざや)(=朱色のさや)の太刀が立て掛けられています。これは永享7年(1435)に一休が堺の市中で世間の僧侶を木剣(ぼっけん)にたとえて嘲笑した故事に因むもので、この種の作例は「朱太刀像(しゅだちぞう)」と称され、一休独特の頂相として数例伝来しています。 本図には「墨渓(ぼっけい)」の印章が押されており、本図が室町時代の画僧、墨渓(生没年不詳)によって描かれたことがわかります。墨渓は、名は兵部(ひょうぶ)と称し、墨渓の号は一休より授けられたものです。 一休ゆかりの寺院に伝来した本図は、一休宗純の初期頂相であり、室町禅宗寺院の水墨画において重要な位置を占める墨渓の、現存する最古の作として絵画史上高く評価されます。 なお、少林寺には本図を写した版木(はんぎ)が伝えられています。製作は近世初期と考えられますが、少林寺における朱太刀像への信仰を示す資料として他に類例の無いものであり、本図に付随して指定されました。名称 | 絹本著色一休宗純像(朱太刀像)墨渓筆 附 一休宗純像版木 1枚(けんぽんちゃくしょくいっきゅうそうじゅんぞうぼっけいひつ) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | H26年1月17日 |
大きさ/時代 | 100.7cm×38.3cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市矢島町1227(少林寺) |
こちらも一休宗純(1394~1481)の頂相です。少林寺に、朱太刀像とともに伝来しました。 朱太刀像と同じく、画面上部に享徳元年(1452)の一休自賛があり、一休59歳の肖像であることがわかります。竹箆(しっぺい)を手に取り、左足を踏み下げて曲彔(きょくろく)に坐す通例の姿で描かれています。本図は賛文から、一休が晩年を過ごした酬恩庵(しゅうおんあん)(京都府京田辺市)に伝来したものと推定されますが、少林寺に伝来した時期は定かではありません。
朱太刀像と同様「墨渓」の印章が押されており、室町時代の画僧、墨渓によって描かれたことがわかります。 少林寺に伝わる2幅の一休宗純像は同時期に描かれていますが、壮年期の容ぼうで描かれた朱太刀像に比べ、本図に描かれた一休は髭が生え、しわも多く描かれており、老年の容ぼうに変化しています。これは享徳2年、一休六十歳の自賛を有する墨渓筆出光美術館本をはじめ、真珠庵や酬恩庵に伝来する一休晩年時の頂相に近いものです。 一休ゆかりの寺院に伝来した本図は、同一時期に描かれた朱太刀像と同様、一休宗純の初期頂相として貴重で、墨渓の筆による現存最古の作例として絵画史上高く評価されています。名称 | 絹本著色一休宗純像 墨渓筆(けんぽんちゃくしょくいっきゅうそうじゅんぞうぼっけいひつ) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | H26年1月17日 |
大きさ/時代 | 91.9cm×37cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市矢島町1227(少林寺) |
赤野井西別院に伝えられている光明本尊は室町時代の作です。了源の創始である仏光寺は京都東山の西麓にあって、親鸞の教化を受けた人々が各地へでて、教化活動をしていました。仏光寺では教化にあたって、光明本尊と言われる名号本尊を用いました。名号本尊を図相化して先徳、師資相承の念仏者の像を描いたもので、仏光寺の教化の跡を示す唯一の文化財です。
名称 | 絹本着色光明本尊(けんぽんちゃくしょくこうみょうほんぞん) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | S50年10月23日 |
大きさ/時代 | 89.5cm×158.5cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市赤野井町326(赤野井西別院) |
阿弥陀来迎図は、往生者を迎えるため仏と菩薩が浄土から現世に到来する様子を情景的に描写したものです。本図は比較的小幅ながら、まとまりがよく、阿弥陀信仰が盛期を過ぎた頃、図画されたもので、山越しに阿弥陀が来迎した様子が描かれています。南北朝時代の作風で、技術的には最も熟達した頃です。なお、山越阿弥陀は鎌倉時代以降、浄土教の普及に伴い変化した阿弥陀図の一つです。
名称 | 絹本着色山越阿弥陀図(けんぽんちゃくしょくやまごえあみだず) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | S50年10月23日 |
大きさ/時代 | 72.5cm×45.3cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市岡町246(西隆寺) |
矢島町荒見の集落の南端にある聞光寺に伝わる親鸞聖人御影は親鸞と蓮如の連座画像の構図になっています。寛正5年(1465)11月28日、報恩講満座の日に下付されたことが裏書によってわかります。聞光寺縁起書によると、元は天台宗でしたが、蓮如の布教活動によって石原新左衛門信晴が弟子となり、真宗に帰入しました。その際に蓮如から下付されたのがこの御影と本尊の十字名号です。真宗帰入後は荒見道場と呼ばれ、布教活動の拠点となりました。
名称 | 絹本着色大谷本願寺親鸞聖人御影(けんぽんちゃくしょくおおたにほんがんじしんらんしょうにんごえい) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | S52年4月30日 |
大きさ/時代 | 55.5cm×111.0㎝ 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市矢島町75(聞光寺) |
山賀町のほぼ中央に、本願寺派に属す古刹の慶先寺があります。この阿弥陀如来の絵像一幅は蓮華座の上に立ち、光背から放射状に広がる後光を書いた画像で、室町時代初期の作風がうかがえます。山賀は古く「山家」と記され、比叡山との関連を示唆する文字が残されています。
名称 | 絹本着色筋後光正面阿弥陀如来画像(けんぽんちゃくしょくきんごこうしょうめんあみだにょらいがぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | 91cm×36cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市山賀町334(慶先寺) |
山賀町慶先寺に伝わる絹本着色親鸞聖人御影は、本願寺蓮如時代の親鸞と蓮如の連座画像で、全国的にみても数少ない貴重な画です。親鸞は二狭間の礼盤に、蓮如は高麗縁畳にそれぞれ座しています。礼盤に繧繝縁の畳座をおき、斜め右を向いて坐し、数珠を爪繰る親鸞聖人像とその斜め下に高麗縁の畳座に斜め左を向いて坐し、数珠を爪繰る蓮如上人像を描かれています。本願寺第8世を継職した蓮如の、親鸞からの法脈の継承を視覚化したもので、裏書によると、文明7年(1475)5月16日に錦織寺(浄土宗木辺派本山)から本願寺派に転派した際に蓮如より下付されたものであることがわかります。 浄土真宗は親鸞の没後、大谷派、仏光寺派、木辺派など分派独立の状況にありましたが、再び統一するための布教活動を各地で行ないました。守山ではおよそ三年あまり、金森を拠点に活動し、その結果、他宗派から多くの帰入がありました。当寺も山賀道場と呼ばれていたことが文書からうかがえます。
名称 | 絹本着色親鸞聖人御影(けんぽんちゃくしょくしんらんしょうにんごえい) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | 95.7cm×50.3cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市山賀町334(慶先寺) |
観音寺に所蔵されている仏涅槃図は、裏書によると永禄12年(1569年)に野洲郡秋富郷にあった観音寺に藤田彦左衛門が寄贈したものであることがわかります。絵は中央に釈迦が露台の上で横たわり、周囲に高僧が集まり悲しんでいる情景の構図です。前面の下には動物が描かれていて、虎の左上に鈴を付けた猫が描かれている珍しいものです。 寳暦10年(1760)に修理が行われているこが裏書から判りますが、極めて保存状態が良好です。室町時代後期の作として貴重な仏画であり、人々の厚い信仰と保存の意思が込められた作品といえます。
名称 | 絹本着色仏涅槃図(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | H9年4月1日 |
大きさ/時代 | 89.5cm×158.5cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市水保町(観音寺) |
観音寺に保存されている十王図は世の中の人々が死んだ後、地獄や極楽(浄土)に導かれる宗教思想を描いた図です。四幅の絵は、死者が生前の功罪によって冥府の十王に裁定され、いろいろな処遇を受ける場面から成っています。当時考えられていた死後の世界を描いた絵画として仏教思想を考える上で貴重です。この絵画も当時の人々の信仰を集め、以後長く保存されてきた仏画です。裏書に天正元(1573)年の銘があります。(写真は四幅の内の一幅)
名称 | 絹本着色十王図(けんぽんちゃくしょくじゅうおうず)4幅 |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | H9年4月1日 |
大きさ/時代 | 99cm×79cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市水保町(観音寺) |
中山道に面した守山宿の中にある天満宮は、明治11年に東門院から移築された神社であり、社務所に三十六歌仙絵が保存されています。木板表面の上半に和歌を、下半にその作者を描いた構造であり、和歌は墨書とし、絵は色絵で着色されています。墨書はやや風化が見られるものの、絵は保存状態も良好で、現在は中山道街道文化交流館に展示公開しています。 歌仙絵は鎌倉時代に最も盛んに作られましたが、この天満宮の歌仙絵は、天満宮の寄贈と合わせて京都の高辻家から伝えられたと言われており、少なくとも江戸時代末以前の作と考えられます。市内で唯一の完全に揃った歌仙絵であり、極めて貴重です。また製作当時の文化を知る上で重要です。
名称 | 三十六歌仙絵(さんじゅうろっかせんえ) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | H9年4月1日 |
大きさ/時代 | 49.3cm×35.1cm 江戸時代 |
文化財の所在地 | 守山市守山二丁目(天満宮) |
聖徳太子勝鬘経講讃図とは聖徳太子が「勝鬘経」という経典について、その教えを講義している姿を描いたものです。平安時代に同じ場面が描かれた絵は全国に多数ありますが、そのほとんどは聖徳太子の生涯を描いた絵巻物の中に一場面として描かれています。少林寺の勝鬘経講讃図のように単独で描かれた絵画は希少で、奈良の法隆寺や三重の西来寺、兵庫の斑鳩寺などに伝わるものは国の重要文化財に指定されています。 少林寺の絵も他の聖徳太子勝鬘経講讃図と同じ構成ではありますが、法隆寺のものに描かれた聴衆(恵慈(えじ)、覚哿(かくか)、小野妹子、蘇我馬子(そがのうまこ)、中大兄皇子)と西来寺のもののように室内のしつらえを合わせて描き、しっかりした筆さばきと細かな描写が見られることは特筆すべきです。 なお、「勝鬘経」とは大乗仏教の経典です。「勝鬘夫人(しょうまんぶにん)」という女性の在家信者が、大乗仏教の教えを説いたもので、釈迦がそれを正しいものと認めたと言われています。「仏の真実の教えは唯一であり、それによって全ての人々は平等に成仏する可能性を内面に持っている」ことを説いています。
名称 | 絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図(けんぽんちゃくしょくしょうとくたいししょうまんぎょうこうさんず) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 絵画 |
文化財の指定日 | H28年1月15日 |
大きさ/時代 | 85.4cm×40.6cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 滋賀県立琵琶湖文化館 |