区分 | 名称 | 年代 | 指定年月日 | 所有者・管理者 |
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国 | 木造宇迦乃御魂命坐像 | 平安 | 明治42年4月5日 | 小津神社 |
国 | 木造千手観音立像 | 平安 | 大正15年8月30日 | 安楽寺 |
国 | 木造十一面観音立像 | 平安 | 明治42年4月5日 | 福林寺 |
国 | 木造薬師如来坐像 | 平安 | 明治42年4月5日 | 東福寺 |
国 | 木造仏頭 | 平安 | 明治42年4月5日 | 蓮生寺 |
国 | 木造聖観音坐像 | 平安 | 明治42年4月5日 | 守山市 |
国 | 木造不動明王坐像 | 平安 | 明治42年4月5日 | 東門院 |
県 | 木造大日如来坐像 | 鎌倉 | 昭和55年4月18日 | 大日堂保存会 |
県 | 木造如来形坐像、菩薩形立像 | 平安 | 昭和57年3月31日 | 東福寺 |
県 | 木造菩薩形立像 | 平安 | 昭和57年3月31日 | 東福寺 |
県 | 木造地蔵菩薩坐像 | 平安 | 平成24年3月19日 | 幸津川地蔵堂保存会 |
市 | 木造矜羯羅童子立像 | 平安 | 昭和46年6月28日 | 東門院 |
市 | 木造制托迦童子立像 | 平安 | 昭和46年6月28日 | 東門院 |
市 | 銅造誕生釈迦仏立像 | 奈良 | 昭和56年4月24日 | 大光寺 |
市 | 木造薬師如来坐像 | 平安 | 昭和55年4月18日 | 大日堂保存会 |
市 | 木造薬師如来坐像 | 平安 | 昭和56年4月24日 | 慈眼寺 |
市 | 木造日光菩薩立像 | 鎌倉 | 昭和56年4月24日 | 慈眼寺 |
市 | 木造月光菩薩立像 | 鎌倉 | 昭和56年4月24日 | 慈眼寺 |
市 | 木造聖観音立像 | 平安 | 昭和62年3月31日 | 津田組 |
市 | 木造阿弥陀如来立像 | 鎌倉 | 昭和62年3月31日 | 津田組 |
市 | 木造十一面観音立像 | 鎌倉 | 平成9年4月1日 | 東光寺 |
市 | 木造一休和尚坐像 | 室町 | 平成12年5月12日 | 少林寺 |
市 | 木造天部形立像 | 奈良 | 平成16年11月25日 | 蜊江神社 |
市 | 木造女神坐像 | 平安 | 平成16年11月25日 | 蜊江神社 |
市 | 木造化仏 | 平安 | 平成16年11月25日 | 蜊江神社 |
市 | 木造狛犬 | 鎌倉 | 平成16年11月25日 | 蜊江神社 |
市 | 木造狛犬 | 鎌倉 | 平成16年11月25日 | 蜊江神社 |
小津神社の御神像として本殿に安置される宇迦乃御魂命坐像は、国指定の重要文化財である。古来、神の姿は目に見えないもの、形に表せないものと信じられてきたが、仏教の隆盛と神仏習合の思想の高揚によって神像が造られるようになった。 この女神像はその代表的なもので、松尾神社、薬師寺に伝わる神像とともに我が国三神像の一つに挙げられる。像高約50cmの一木造りの彩色像で、下ふくれの顔、垂髪の頭上には蓮冠を飾り、たてた片膝に宝珠をもった左手を置く像容には仏教の影響がうかがわれる。
名称 | 木造宇迦乃御魂命坐像(もくぞううかのみたまのみことざぞう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | M42年4月5日 |
大きさ/時代 | H 50cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市杉江町495(小津神社) |
乾勝山安楽寺はもと天台宗であったのを黄檗宗に改めたという。本尊千手観音は、この寺が天台宗の頃のもので、いまは、本堂須弥壇上の厨子内に奉安されているが、藤原時代の典型的な仏像である。 像は寄木造で、比較的鮮やかな彩色像で、低い岩形台座の上に立って、頭上に十一面の化仏をいただき、本手、脇手あわせて40手をそなえ、仏身とともに、左右の調和がよくとれた、おごそかな姿である。そのうえ、満月相でほほえみを含んだお顔や、女性的ななで肩は、藤原時代の明朗さ、おだやかさ、円満さをよく物語っている。又このことは、柔和や伏し目にも見られるところである。一般的に千手像は復補が多いものであるが、この像は頭光、天衣などの他は、ほとんど補修されておらず造顕当初のままである。
名称 | 木造千手観音立像(もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | T15年8月30日 |
大きさ/時代 | H 162cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市勝部1丁目14-10(安楽寺) |
福林寺は大慈山と号し、伝教大師最澄の開基といわれている。この寺の奥に、最近収蔵庫を建設し安置しているのが十一面観音立像である。寺伝では、伝教大師の作とされ、月光を光背として、五色の蓮華台座に立ち、豊かな頬や、まろやかな肩、胸部・衣の線が非常に美しい。 現在は外されているが、厨子の両扉内側に、明暦4年(1658)3月18日をはじめ、寛文、元禄、享保、寛政、明治など開扉年月日とその時の導師名とを記している。開帳は33年毎と伝えられ、幾多の戦禍や天災などに耐え、現在の尊容を拝し得るのは、木浜在住の人たちで結ばれた「弓講」の方々の献身的な努力によるものである。
名称 | 木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | M42年4月5日 |
大きさ/時代 | H180cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市木浜町2011(福林寺) |
立入町の北西端にある東福寺の本堂に安置されている四躯の仏像のうち、中央の左側が薬師如来である。半丈六の大きさの坐像で、桧材の内刳り寄木造りである。右手は掌を前に向け、施無畏印を結び、左手には薬壷を持つ木眼の半金像であるりふくよかな顔と身体、なで肩、螺髪などに平安時代の作風を伝えている。薬師如来は衆生の病苦を救う仏であり、その端正な容貌のうちに大きな慈悲の心を表現している。
名称 | 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | M42年4月5日 |
大きさ/時代 | H145cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市立入町110(東福寺) |
三宅町の中央北側には、蓮生寺が飛び地として管理する薬師堂がある。そこに安置される仏像は明治四十二年四月五日に国の重要文化財に指定されている。指定を受けたときは仏頭のみの保存であったため、「薬師堂木造仏頭」という名称となった。その後、大正年間に村人がその信仰と保存のため、像高約95㎝の薬師如来として体部分を復元し、信仰されているが、その際に仁王門ともに薬師堂をも再建された。 桧材の一木造りで彩色と金箔は落ちているが、面相は穏やかで、やさしさを感じる仏像である。この仏頭の由来については詳らかでないが、欲賀町の浄光寺に伝わる薬師如来縁起には「欲賀寺は法相天台兼学の浄刹であったが、建武元年九月二十六日重ねて応仁元年十月二十四日の兵火にあって伽藍が焼失し、持統天皇作の薬師仏を火中より取り出し小堂を建立して安置した」と記されている。
名称 | 木造仏頭(もくぞうぶっとう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | M42年4月5日 |
大きさ/時代 | H95cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市三宅町(薬師堂) |
武道天神社の境内の北西に建つ鉄筋コンクリート造りの収蔵庫の中、漆黒の蓮華の台座にゆったりと安置された仏像である。左手のひじをまげ、親指と中指をまるめ、右手は手のひらを上にして、組んだ右膝の上にごく自然においている。摂関政治の栄えた頃で、寄木造の技が完成した時代に作られたものだけあって、そのふくよかなお顔には、末法の世に深い慈悲をこめた立派な調和がみられ、やさしくうるわしいお姿からは何とも言えないおごそかさがにじみ出ている。 昭和40年の大修理によって、像の背中の内側から銘が発見され、この像が、長元2年(1029)から長暦2年(1038)までの間に完成されたものであることが確認された。尚、その時、後の時代につけた漆や金箔をおとし、ほぼ平安時代の姿にもどしたので、本来の優雅なお顔や衣の模様がよくわかるようになった。
名称 | 木造聖観音坐像(もくぞうせいかんのんざぞう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | M42年4月5日 |
大きさ/時代 | H92cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市矢島町(武道天神社) |
東門院本堂右脇の護摩堂に安置されている彩色像で、左手に羂索を掲げ、右手に剣を持つ。火焔光を背に岩座上で趺座し、忿怒相を示し、口の両辺から牙が上下に生じている。桧材の寄木造りで、臂釧(上腕部の飾り)と腕釧(手首の飾り)も共に木から彫りだしており、両肩の盛り上がりと膝の張り出しがバランス良く安定感のある構成である。 また、両膝の裳の衣文線は翻波の手法で自由な流れがあり、条帛(肩口から脇腹に斜めにかかる布)の折り返し部分の的確な表現とともに細部まで入念で繊細な藤原様式を伝えており、全国的にも数少ない半丈六の大きさを持った不動明王として知られている。
名称 | 木造不動明王坐像(もくぞうふどうみょうおうざぞう) |
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文化財の種類 | 国指定重要文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | M42年4月5日 |
大きさ/時代 | H142cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市守山二丁目(東門院) |
大日堂の内陣中央に安置された丈六の仏像である。鎌倉時代初頭の作で、内刳りの寄木造りである。全体にふくよかな様子を表現し、両手は大日印を結ぶ。後世の補修も元の像を著しく損なわずになされており、県下でも保存状態の良い最大の大日仏である。右手に安置された薬師如来(市指定文化財)と合わせてこの小さな堂に保存されているが、由来は明らかではない。
名称 | 木造大日如来像(もくぞうだいにちにょらいぞう) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S55年4月18日 |
大きさ/時代 | H180cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市小浜町(大日堂) |
本堂内陣の正面に向かって右二躯目の仏像がこれである。向かって左側の如来形坐像は、現在は薬師如来の形に復元されているが、両手が造顕当初ではないと判断され、如来形とされている。両肩に衣をかけた通肩の衲衣を付け、結跏趺座する半丈六の像である。両手先は法界定印を結んでいる。鼻や唇を小さくまとめ、伏目がちの穏やかな表情や浅く刻まれ、形式化した衣文線など平安時代末期の特徴が顕著に表現されている。 右側の菩薩形立像も肘から先が後補のため、尊名が不明であるが、丸みの強い顔、切れ長の目や胸の肉付けなど如来坐像と作風が一致する。おそらく如来像の脇士仏として、同じ仏師により製作されたものと考えられる。
名称 | 木造如来形坐像・木造菩薩形立像 (もくぞうぼさつぎょうりゅうぞう)(もくぞうにょらいぎょうざぞう) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S57年3月31日 |
大きさ/時代 | (両方とも)H180cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市立入町110(東福寺) |
内陣の左端に安置された仏像である。両肩から先が後補であるため尊名が明らかでない。材は桧を用いている。頭体を通して像の根幹部は正中線で左右二材矧とし、更に割首として内刳りを施す。高く結いあげた宝髪、最上部を花冠とした花冠台や毛筋彫の地髪部の丁寧な造り、腰裳の折返し部の形態や衣文線の性質等からみて、12世紀の造像と推測される。 両貌や肉取りには明らかに定期線を踏襲するところが窺えるが、総体的にみて形式化した感じも窺える。中央左側の薬師像の脇士像として製作された可能性が高いと考えられる。
名称 | 木造菩薩形立像(もくぞうぼさつぎょうりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S57年3月31日 |
大きさ/時代 | H182cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市立入町110(東福寺) |
地蔵菩薩坐像は、幸津川東光寺境内にある地蔵堂に安置されていた。平成16年度の市の予備調査時点では、全身が白い胡粉(ごふん)で覆われ、一部が欠損するなど相当な傷みがあった。地域では、収蔵している地蔵堂も修理が必要であり、地蔵像も傷みがあるため、滋賀県教育委員会の美術工芸品実態調査を待って、堂及び像の修理を行う計画となった。県実態調査の結果、像は平安時代の作で、半丈六という大きな仏像であり、傷みはあるものの、造像当初の構造を残しているという成果を得た。傷みがあり、地蔵堂も理を要することから、平成18年度、修理委員会が設置され、地蔵菩薩像は3月から8月までの間、楽浪文化財研究所で修理が行われた。修理は造像時の状態に復原修理し、全身に塗られていた胡粉と彩色を外し、破損部を補うものである。平成18年8月20日に堂および像の竣工記念式が行われ、新しい堂に保管されている。 平安時代末の造像当時の像容に復原修理した結果、市内最大の地蔵菩薩像であることがわかった。
名称 | 木造地蔵菩薩坐像(もくぞうじぞうぼさつざぞう) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H24年3月19日 |
大きさ/時代 | H138cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市幸津川町1189(幸津川地蔵堂) |
東門院境内本堂に向かって右側に護摩堂がある。堂内には木造不動明王坐像とその両側に童子像がある。向かって右側が矜羯羅童子である。 いずれも不動明王に従った童子で眷属である八大童子の内の二童子である。ふつう、不動明王を中心にこの二童子とともに三尊の形式で安置される湯合が多い。矜羯羅童子は頭に二つの髷を結い、穏やかな童顔は随順の意味を物語り、左肘をまげ、掌を上にして蓮の華を、右肘は垂れて、その華の茎を持つかわいらしい表現である。
名称 | 木造矜羯羅童子立像 (もくぞうこんがらどうじりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S46年6月28日 |
大きさ/時代 | H105cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市守山二丁目(東門院) |
東門院境内本堂に向かって右側に護摩堂がある。堂内には木造不動明王坐像とその両側に童子像がある。向かって右側が矜羯羅童子である。 いずれも不動明王に従った童子で眷属である八大童子の内の二童子である。ふつう、不動明王を中心にこの二童子とともに三尊の形式で安置される湯合が多い。 左側の制托伽童子は胸に天衣をまとい、右手に金剛棒、左手に独鈷を持ち立っている。大きく見開いた目、きりりと結んだ口に表現されている。
名称 | 木造制叱迦童子立像 (もくぞうせいたかどうじりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S46年6月28日 |
大きさ/時代 | H105cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市守山二丁目(東門院) |
中山道沿い守山町にある大光寺所蔵の釈迦仏立像は、鋳造品で奈良時代の作である。釈迦が誕生して、「天上天下唯我独尊」と言った様子を表した立像である。
名称 | 銅造誕生釈迦仏立像(どうつくりたんじょうしゃかぶつりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | H13.4cm 奈良時代 |
文化財の所在地 | 守山市守山一丁目(大光寺) |
堂内陣の正面壇上に安置されている二躯の仏像の内、向かって右側が薬師如来である。 半丈六の坐像で桧材の内刳りの寄木造りである。右手は掌を前に向け、施無畏印を結び、左手には薬壷を持つ。ふくよかな顔と身体、なで肩、裸髪などに平安時代の作風を伝えている。薬師如来は衆生の病苦を救う仏で、その端正な容貌のうちに、大きな慈愛の心をうかがうことができる。 本像は大日堂の客仏として安置されたもので、近くの薬師堂を廃した際に、当堂に遷仏したと伝えられている。また、大日堂の内陣中央左側には丈六の仏像、木造大日如来坐像(県指定)が安置されている。
名称 | 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S55年4月18日 |
大きさ/時代 | H149cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市小浜町(大日堂) |
帆柱観音で知られる慈眼寺にはかつて本堂北側に薬師堂があり、そこには三躯の仏像があり、その中央に安置されていたのが薬師如来である。像は寄木造りで全体の姿は多くの人をもれなく済度するやさしさがあり、平安時代の作と考えられる。また、袖衣は両肩にかかり円満相で、施無畏印を結ぶ手はやわらかさが感じられ、螺髪は青瑠璃色となっていて他は金色に輝いていた。しかし、平成19~20年度にかけて薬師如来の修理が施される中で造立当時の姿に戻された。平成19年の修理により、これまでに少なくとも鎌倉時代、室町時代、江戸時代の3度の修理を経てきたことや、表面の漆箔を除去したところ、造像当初のままの色彩が鮮やかな状態で残されていたことが分かった。この彩色は700年以上にわたり漆箔により覆われていたが、今回の修理により、木造彫刻としても優れた本来の像の姿がよみがえった。
名称 | 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | H144cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市吉身一丁目(慈眼寺) |
薬師如来の脇侍として菩薩立像が両側に安置されている。向かって右側が日光菩薩で、金色に輝く上半身は左肩から斜めに条吊をつけ、天衣を肩、腕にからませて下半身には袖をまとう。宝髪を結う頭上に宝冠を戴き、手首は腕釧で身を飾り、印を結んだ手には持物としての蓮華を持つ。寄木造りで鎌倉時代の作と考えられていたが、H20年の修理で江戸中期~後期のものと判明した。
名称 | 木造日光菩薩立像(もくぞうにっこうぼさつりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | H251cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市吉身一丁目(慈眼寺) |
薬師如来の脇侍として菩薩立像が両側に安置されている。左側に安置された月光菩薩は本尊である薬師如来に法を学び、最高の位に達したもので、如来の性格の一分身とされている。上半身は日光菩薩と同様で、下半身には据をまとっている。宝髪を結う頭上には宝冠を戴き、手首には腕釧を飾り、印を結ぶ手には蓮華を持つ。寄木造りで鎌倉時代の作と考えられていたが、H20年の修理で江戸初期のものと判明した。
名称 | 木造月光菩薩立像(もくぞうがっこうぼさつりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | H251cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市吉身一丁目(慈眼寺) |
本堂内陣に向かって左側に安置された仏像が聖観音立像である。全高101.8cmで内刳りなしの一木造りである。肘より先と両端先は別矧ぎである。垂髻を結い、宝冠を戴き、顔は白毫相をなし、耳には鬢髪を巻く。条帛をかけ、両肩にかかる衣文は遊離部を欠いている。二段折り返しの裳をつけ、肘より先が後補であるため、本形の形相はわからないが、現在は両手を屈臂して両掌を相対させて左手に未敷蓮華を持っている。両肘の後補をはじめ、顔、衣文そして玉眼の嵌入、厚くかかっている古色漆なども後世の修理によるものであるが、垂髻、宝冠、鬢髪などから平安時代の作をうかがわせる。 右側に安置された阿弥陀如来立像は、やや面長の顔だちで体奥に豊かさが見られる。頭には小粒の螺髪に高い肉髻を結び、髪際を地髪が盛り上がって肉髻朱を嵌入し、自毫相を表している。通肩の大衣を身にまとい両袖も軽く体側に垂れる姿は穏やかである。台座と光背は後補で、13世紀末から14世紀初頭の作と考えられる。
名称 | 木造聖観音菩薩立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S62年3月31日 |
大きさ/時代 | H100cm |
文化財の所在地 | 守山市服部町1129(極楽寺) |
本堂内陣に向かって右側に安置された阿弥陀如来立像は、やや面長の顔だちで体奥に豊かさが見られる。頭には小粒の螺髪に高い肉髻を結び、髪際を地髪が盛り上がって肉髻朱を嵌入し、自毫相を表している。通肩の大衣を身にまとい両袖も軽く体側に垂れる姿は穏やかである。台座と光背は後補で、13世紀末から14世紀初頭の作と考えられる。
名称 | 木造阿弥陀如来立像(もくぞうあみだにょらいりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | S62年3月31日 |
大きさ/時代 | H82.8cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市服部町1129(極楽寺) |
構造は寄木造りで内ぐり、現状素地で彫眼の十一面観音立像である。形状は頭部に断面四弁花形の垂髻を結い、上部で二重に結ぶ。髻頂に仏面をおき、下部に四面の頂上仏を配し、天冠台上の前、側面に六面を配す。本面の天冠台上地髪部の正面に化仏立像を表す。概要として、頭、体部を前後矧ぎとし、差首とする技法や腹前の腰裳折り返し部のやや複雑な処理、また、少年を思はせる面貌などから、鎌倉時代前期の作と考えられる。頭上面がほぼ当初のままの姿を伝えている点は極めて貴重である。
名称 | 木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H9年4月1日 |
大きさ/時代 | H108cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市幸津川町1189(東光寺) |
少林寺で所蔵される木造一休和尚坐像は、形状として老貌。頭髪、髭を伸ばした正面向きである。下衣の上に法衣、袈裟を纏う。両手は屈臂し、各膝上で掌を伏せ、左手作拳、右手警策を執る。法被を懸けた椅子の上に座す。檜材の寄木造で彩色仕上げである。頭は首から上を別材で仕上げ、襟に差す。首内面には墨書があり、『大仏師 宇兵衛 心傳庵 淵首座』とある。 伝来は開山一休宗純の肖像と伝えられる像であり、本像は等身大の彫刻で、京都酬恩庵、真珠庵の木像に相通じ、意匠もこれらに類似する。 保存状態は矧目が緩み、部材が脱落するなど、決して良好ではないが、造形が総じて単調になり、相貌や体貌の表現などに形式化したところがある。少林寺に伝える『少林寺法度』には大永五年(1525)までには一休の彫刻が安置されていたことが見られることから、作像の時代をこの頃に求めることができると考えられる。従って、酬恩庵、真珠庵の木造よりはやや時代が下るが、国内では3カ所にしかない貴重な一休像である。
名称 | 木造一休和尚坐像(もくぞういっきゅうおしょうざぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H12年5月12日 |
大きさ/時代 | H185cm 室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市矢島町1127(少林寺) |
材質はカヤであるが、右腕、左肘先が欠け、顔面、右胸から腹前面、軸部にかけて朽損が著しい。像は、顔面の彫りが浅いことなどから、木心(もくしん)乾漆像(かんしつぞう)であった可能性が高いが、本像が破損していることもあって、尊像(そんぞう)名が難しいが奈良時代の像を奉安するものとして吉祥天をあてるのが妥当だと判断される。この神社に奉安される経緯や由来は不詳だが、奈良時代に近江で行われた吉祥(きっしょう)悔過会(けかえ)のために造像されたものと考えられる。
名称 | 木造天部形立像(もくぞうてんぶぎょうりゅうぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H16年11月25日 |
大きさ/時代 | H72.5cm (57.2cm) 奈良時代 |
文化財の所在地 | 守山市笠原町938(蜊江神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |
顔を正面に向け、左腕を屈して前面に差し、右腕は欠損している。また、後下部の朽損が著しいため、詳細は不明。頭部は髻(もとどり)を結い、地髪部は束状に五区画を表し、面相部は眉、目、鼻、口唇がわずかに観察できる。 木心を前面左に外した竪木一材より木取りするが、両手及び膝前材は別材を寄せていたかと思われる。
名称 | 木造女神坐像(もくぞうめがみざぞう) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H16年11月25日 |
大きさ/時代 | H749.2cm 奈良時代 |
文化財の所在地 | 守山市笠原町938(蜊江神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |
観音像の頭部や如来の光背に小さな仏像がついているものを化仏と言う。材質はヒノキを使用し、結跏趺坐(けっかふざ)して膝張を充分に取り、ゆったりした雰囲気を持つ像である。一見懸仏(かけほとけ)の中尊(ちゅうそん)かとも思えるが平面に見る丸みは、おそらく光背(こうはい)につけるための工夫と考えられることから化仏とするのが妥当である。とするなら、法量から考えて半丈六(はんじょうろく)ないしは周丈六(しゅうじょうろく)像の光背の化仏となろう。平安時代後期の制作になる優品である。
名称 | 木造化仏(もくぞうけぶつ) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H16年11月25日 |
大きさ/時代 | H27.6cm 平安時代 |
文化財の所在地 | 守山市笠原町938(蜊江神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |
右側の阿形(あぎょう)は、後肢を曲げ、前肢を前について顔を左に向けている。下顎(したあご)を除いて欠失しているが、開口する阿形の狛犬と考えられる。また、鬣(たてがみ)は体部に密着し、その先端を巻き毛に表している。胸を強く前面に張り、口内には歯、舌を彫出し、特に舌の彫技は写実的である。下半身には男根及び睾丸を表している。 左側の吽形(うんぎょう)は、後肢を曲げ、両前肢を伸ばして顔を右側に振っている。 面相部は大きく欠失しており、右側面も欠失している。欠失面の観察から鋸(のこぎり)で断たれたことが確認でき、当初からの仕様と考えられる。角跡はないが、男根、睾丸を表しています。 前肢を突っ張る形勢や鬣が体部に密着するなど、体部の引き締まった造形から制作年代は鎌倉時代前半と思われる。
名称 | 木造狛犬(一対)(もくぞうこまいぬ) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H16年11月25日 |
大きさ/時代 | H46cm ・ 45.1cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市笠原町938(蜊江神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |
後肢を曲げて、前肢を前につき顔をやや右に向け、鬣(たてがみ)は体部に密着している。材質はヒノキで、木心を右後頭部においた竪一材から木取りし、上顎部のみ割り放ち、口内を彫成している。耳部には孔が穿たれ、別材で両耳を矧(は)いでいたものと見られる。朽損のため詳細は不明であるが、制作は鎌倉時代前期のものと思われる。同神社の他の狛犬とも法量が近似し、制作年代も大差ないと考えられるが、様式的には本像の方がやや古いスタイルを残している。
名称 | 木造狛犬(もくぞうこまいぬ) |
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文化財の種類 | 市指定文化財 彫刻 |
文化財の指定日 | H16年11月25日 |
大きさ/時代 | H43cm 鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市笠原町938(蜊江神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |