区分 | 名称 | 年代 | 指定年月日 | 所有者・管理者 |
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県 | 鰐 口 | 鎌倉 | 昭和56年4月24日 | 蜊江神社総代 |
県 | 銅水瓶 | 室町 | 平成20年7月23日 | 己爾乃神社 |
県 | 銅 鐘 | 室町 | 平成21年11月25日 | 下新川神社 |
市 | 銅製経筒 | 室町 | 昭和49年8月26日 | 己爾乃神社 |
鰐口とは社殿や仏堂の軒先に吊るして、前に下げられた綱を振って打ち鳴らす仏具のことで、空洞の円盤状の金属品である。動物の鰐の口に似ていることからこの名がついた。
神社の本地堂の地蔵院に掛けられていたこの鰐口は大型で直径30cmを越える。ふくらみのある鼓面を合わせていて、身幅は厚い。側面の中程から縁をつくって唇状とし、左右の上方に耳を作って鉄製の吊金具をつける。表裏とも同じ文様で、鼓面には二条圏縁、銘帯、外区、内区、橦座区の4区に分けられ、橦座区には複弁八葉蓮華文を鋳出している。 銘帯には「吉祥寺江州播磨田」「永仁七年亥巳二月廿日」の文字があることから吉祥寺に伝わったものであることが窺われる。名称 | 鰐口(わにぐち) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 工芸品 |
文化財の指定日 | S56年4月24日 |
大きさ/時代 | 面径42cm/鎌倉時代 |
文化財の所在地 | 守山市笠原町938(蜊江神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |
水瓶は飲用か手洗い用の水を注ぐ容器である。大きさからすれば飲用に用いられたものと思われる。鋳造製品で志貴形を呈し、口に蓋、口縁部から胴部にかけて把手が付けられ、これと蓋とは蝶番で結ばれている。注口は胴部より長くのび、高さとほぼ同じくらいまでになる。胴部には銘文があり、「寛正六年(1465)戌年秋日 己爾乃御前 別当保流山 玉林寺汁物」と書かれていて、神仏習合時の神宮寺であった玉林寺のものであったと考えられる。
名称 | 銅水瓶(どうすいびょう) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 工芸品 |
文化財の指定日 | H20年7月23日 |
大きさ/時代 | H25cm 銅部径14.1cm/室町時代 |
文化財の所在地 | 守山市洲本町大曲(己爾乃神社)(現在は琵琶湖文化館で保管) |
和韓混淆鐘とは、日本の鐘(和鐘)と朝鮮半島の鐘(朝鮮鐘)の双方の様式を持った鐘のことで、九州や四国地方を中心に5例が発見されている。下新川神社の鐘は青銅製で、高さ40.6cm、直径23.9cm、重さ11.2kgの小型の鐘でその大きさから「喚鐘」に分類される。鐘の側面には「江洲野洲郡幸津川荘/地主下新川神社明之神鐘也/奉寄進東般若院/施主/道源/道金/浄圓/應永二十六年霜月」の8行の銘文が刻まれている。鋳物師(製作者)の名前は見当たらないが、銘から室町時代の応永26(1419)年に道源、道金、浄圓の三人の僧侶が、下新川神社にこの鐘を寄進したことがわかる。これまでの5例の中では応仁3(1469)年の記年銘がある長崎県対馬.厳原町所有の鐘が最も古かったのだが、応永26年の銘が刻まれた下新川神社の鐘は、それを半世紀遡る現存最古の和韓混淆鐘となった。
名称 | 銅鐘(どうしょう) |
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文化財の種類 | 県指定文化財 工芸品 |
文化財の指定日 | H21年11月25日 |
大きさ/時代 | H40.6cm/室町時代前期 |
文化財の所在地 | 守山市幸津川町1356(下新川神社) |