巨大集落
1.弥生時代後期の巨大集落
伊勢遺跡の全景(クリックで地図が拡大します)-
伊勢遺跡は、東西方向がJR琵琶湖線のすぐ西側から阿村町東端まで、南北方向は栗東市立大宝東小学校から日本バイリーン南側までの範囲に広がり、面積は約30㌶です。弥生時代後期の集落としては佐賀県吉野ヶ里遺跡、奈良県唐古・鍵遺跡などと並んで国内最大級の遺跡です。
近畿地方の集落遺跡は、中期の巨大環濠集落が解体して、小さな集落に分散居住することが特徴で、後期になって伊勢遺跡のように巨大化する集落は稀です。?
2.弥生の国の中心部を考える遺跡
伊勢遺跡は、紀元140年~180年頃にあったという倭国大乱の時代に最盛期を迎える遺跡です。
中国の書物である『三国志』魏志倭人伝には当時、列島内には30ほどクニがあり、中国に物資を献上し外交を行っていましたが、140年頃から180年頃にかけて国内で大乱があり、その後、卑弥呼が共立されて女王になったとの記録があります。
伊勢遺跡で発見された大型建物は、卑弥呼共立直前の建物であり、ここに近江を代表するクニの中心部があって、様々な政治的儀式やまつりごとが行われていたと考えられています。魏志倭人伝には卑弥呼の住まいには「居処、宮殿、楼観、城柵」などの施設があると記されていますが、伊勢遺跡は倭人伝に記された卑弥呼の住まいを彷彿とさせます。
伊勢遺跡は国の中枢部の構造を探ることのできる遺跡として高い評価を受けています。
- 方形区画の復元CG(大上直樹氏作成)
[右からSB-1、2、3、小型倉庫]
- 方形区画復元 CG左右対称案
(大上直樹氏作成)
- 方形区画内で検出された大型建物
(SB-1)
3.国の成り立ちを探る遺跡群
伊勢遺跡周辺の遺跡(クリックで地図が拡大します)-
伊勢遺跡の西約1.7kmには栗東市下鈎遺跡があり、弥生時代後期の棟持柱をもつ大型建物が二棟発見されています。二つの建物は独立棟持柱をもつ大型建物です。下鈎遺跡では銅鏃や銅釧、銅滴などが出土していて青銅器を生産していた遺跡と考えられています。
伊勢遺跡から北西約2km離れた守山市下長遺跡は弥生時代末から古墳時代前期に発達する遺跡です。
下長遺跡でも弥生時代末の独立棟持柱をもつ大型建物が1棟みつかっています。下長遺跡では古墳時代前期に首長居館が造営され、儀仗などの威儀具が出土しており、古墳時代の王がいたと推定されています。
川跡からは準構造船が出土しているほか、全国各地の土器が見つかっています。琵琶湖や川を利用して遠隔地と交流していたことが想像されます。伊勢遺跡、下鈎遺跡、下長遺跡の遺跡群は国の成り立ちや、強大な権力をもつ王の誕生を探ることのできる貴重な遺跡群と言えるでしょう。?
- 下長遺跡出土の儀仗
- 下長遺跡出土の準構造船復元図 (中井純子画)