大型建物
1.次々と発見される大型建物
遺跡の東半部では、弥生時代後期の大型掘立柱建物が合計12棟も発見されています。現伊勢町集落のすぐ東側は、方形の柵で囲まれた中に大型建物3棟と小型の倉庫がL字状に配置された特殊な区画が存在することがわかりました。SB-1(平成4年発見)、SB-2、SB-3、小型の倉庫(平成7年発見)から成る政治の場であったと推定されています。
また、その東側30mの地点には3間×3間の楼観(SB-10、平成10年発見)、そしてこの楼観を中心にして半径110mの円周状に配置された6棟の独立棟持柱付建物と屋内に棟持柱を持つ大型建物(SB-6)(平成6、7、10、13年)が発見されています。さらに平成13年には、円周状の建物群の外側で床面積が185㎡を測る大型竪穴建物が発見されました。この建物の壁にはレンガ状の焼物が置かれ、床が赤く焼かれており、特殊な建築技術がみられました。佐賀県吉野ヶ里遺跡、栗東市下鈎遺跡で数棟ずつの発見例はありますが、伊勢遺跡では多種多様な大型建物が12棟も集中しており、国内に類例を見ません。
方形区画の平面配置図
2.円周状配置の大型建物
大型建物 円周状配置想像図
(クリックで地図が拡大します)-
大洲地区では円周状配置の建物群の外側に幅3~6mの弧状にのびる区画溝があることがわかってきました。約18m間隔で弧状に配置された建物は独立棟持柱(どくりつむなもちばしら)を持ち、梁行(はりゆき)1間×桁行(けたゆき)5間(約4.5m×約9m)で規格性が見られます、壁の外側に棟持柱があり、屋内の中心部にも心柱があるのが特徴です。両外側の柱は、屋根の棟柱を支える柱で、少し内側に傾斜して建てられ、中心部の柱はやや細いものが使われています。
独立棟持柱があり、心柱を持つ点は、伊勢神宮本殿にも共通するもので、建築学の宮本長二郎氏は、伊勢遺跡で次々並んで発見される祭殿は伊勢神宮本殿の創立に深くかかわりをもつ遺跡と評価しています。?
(宮本氏論文参照)「伊勢神宮の名称は神宮としては新しいが、地名が同じであることや、守山市と伊勢市の距離の近さを考え合わせると、伊勢・大洲遺跡の祭殿遺構は伊勢神宮の創立と不可分の関係にあったものと思える」
(神宮本殿形式の成立『瑞垣』183号 平成11年 神宮司庁刊)
- 棟持柱をもつ大型建物(SB-12)
- 棟持柱をもつ大型建物 (SB-8)
- 棟持柱をもつ大型建物
(SB-9)と大型竪穴建物
- 棟持柱をもつ大型建物(SB-4)
- 円周状配置の大型建物群想像図
(小谷正澄氏作成)
3.多種・多様な大型建物
伊勢遺跡では、二重の柵で囲まれた方形の区画の中に、形式の異なる4棟の建物が計画的に配置されていたことがわかっています。方形区画の東側では佐賀県吉野ヶ里遺跡で復元されているような楼観跡がみつかっています。また円周状に配置された大型建物には独立棟持柱付建物や屋内に棟持柱を持つ大型建物などがみられます。さらに大型建物群の外側で屋内に棟持柱を持つ大型竪穴建物が発見されています。伊勢遺跡からは多種多様な建物がみつかっていて、機能や性格の異なる建物が組み合わされており、政治や祭祀を集約し執り行っていた遺跡と考えられています。
- 楼観(SB-10)
- 楼観復元図(中井純子画)
- 独立棟持柱付大型建物(SB-5)
- 主殿とみられる大型建物(SB-1)
- 大型竪穴建物
- 大型竪穴建物復元CG(小谷正澄氏作成)
4.五角形住居
伊勢遺跡では、8棟もの五角形住居が発見されています。平面形が五角形で、柱穴は5本あり、 中央に炉をもち、東南辺の壁際に貯蔵穴をもっているものが通例です。壁際には周壁溝がみられる のも特徴です。
五角形住居は、弥生時代後期に各地で見られますが、特に島根、鳥取、石川、富山県などの 日本海沿岸地域に多く、大阪湾岸や瀬戸内海、四国でも発見されています。日本海沿岸地域との 活発な交流を背景に、五角形住居が伊勢遺跡を中心に多数、建築されたと考えられます。
- 五角形住居(字大将軍)
- 五角形住居の土器出土状況
5.大型建物の柱穴の掘り方
大型建物のうちの3棟(SB-4、SB-5、SB-6)の柱穴の底には直径5㎝ほどの河原石が敷かれて
いて、柱が沈みこまないようにしてありました。また、傾斜面をもつ、大きくて長い柱穴が掘られていて、
長くて太い柱を落とし込み、柱を建てあげた事が推測されます。さらに、伊勢遺跡の大型建物の柱材はすべて
針葉樹のヒノキが使用されていました。?
- 大型建物の柱穴(SB-5)
- 柱穴の底に敷かれた河原石(SB-5)