よみがえる弥生のムラ 下之郷遺跡は、多重の環濠に囲まれた弥生時代注記、今から約2200年前の集落です。発掘調査によって、環濠や住居跡、それにともなう各種の施設なども発見されており、当時のムラの光景を具体的に復元できるのです。 発掘された環濠(かんごう) 弥生時代中期になると、周囲に幅が広く、深い濠をめぐらせたムラ(集落)が出現します。このような集落を「環濠集落」と呼んでいます。 下之郷遺跡は、少なくとも3重の環濠をめぐらせた多重集落であることが分かっています。 なぜこのような大規模な溝をムラの周囲にめぐらせたのでしょうか。その理由には、戦乱などによる外敵の侵入を防ぐための防御施設という話、居住域と外界を区分する境界という説、水田に水を導くための灌漑(かんがい)用水路だったという説、あるいは生活用排水の役目を果たしたという説などがあげられます。 3重の環濠(第9次調査) 第23次調査 第61次調査 ムラの建物のさまざま 弥生時代の人々は、主に「竪穴(たてあな)住居」と呼ばれる半地下の住居に暮らしていたと考えられていました。ところが下之郷遺跡では、竪穴住居は一棟も発見されていないのです。これが下之郷遺跡の一つの特徴と言えるでしょう。 下之郷遺跡では、「掘立柱(ほったてばしら)建物」や、「壁立式(かべだちしき)建物」などが見つかっています。壁立式建物とは、壁を屋根で支える構造の建物で、そのルーツは朝鮮半島にあったと考えられています。また方形に巡る溝の内側に、棟持柱(むなもちばしら)を有する大型の掘立柱建物が見つかっており、これがムラの中枢施設であったと考えられています。 壁立式建物(第31次調査) 大型掘立柱建物(第44次調査) 環濠にともなう施設 広大な環濠の調査が進むと、それにともなうさまざまな施設も発見されました。 環濠の外から内へと続く”出入り口”は、環濠の一部を土で埋め戻し、通路上に整えて構築されていました。その周囲には多数の武器類が散乱して出土しており、この場で実際に戦闘があった可能性を示唆しています。また、環濠のそこに杭を打ち込み、水止めの機能などが推測される”しがらみ杭”や、環濠に沿って建てられた”柵列”なども発見されており、当時のムラの景観を具体的に知ることができるのです。 出入り口と思われる陸橋(第23次調査) しがらみ杭(第63次調査) 弥生のタイムカプセル