戦い、マツリの道具
環濠からは多くの武器・武具などが出土しているのも下之郷遺跡の特徴の一つといえるでしょう。当時、”戦い”という緊迫した社会情勢があったこともうかがえます。また、ムラの存続・繁栄のために、カミへのマツリを行ったことも、出土遺物からみることができます。
戈の柄(かのえ)
「戈」と呼ばれる武器の柄の部分です。中国の戦国時代に類例があり、長い柄の先に青銅の戈がつけられていて、主に戦車の上から敵の首を刈るために使用されていました。
出土した戈の柄は、全長56センチメートルでヒノキ材を丁寧に削りあげられています。柄の先には溝孔が開いており、その部分に青銅の戈が装着されていたと考えられます。
かざり弓
下之郷遺跡からは、これまでに計10本以上の弓が出土しています。素材にはイヌガヤなど、弓を射る際に不可欠な弾力性を持った木材が使用されています
中には、樺(かば)が巻かれたり、漆が塗られた弓も出土しおり、単に戦闘だけでなく、マツリに使用された可能性も考えられます。
楯(たて)
出土した楯は、全長105センチメートルを測り、ほぼ完全な形を残していました。
これまでに出土している弥生時代の楯は、板材にモミを、そして表面に顔料を塗ったりしている事例が一般的です。それらと比較すると下之郷出土の楯は、板材にスギが使用されており、顔料も塗られておらず、非常に珍しい型式です。
またこの楯を用いて「年輪年代測定」という、年輪の観察からその年代を測る科学分析が実施されています。その測定の結果、この楯は一番外側の年輪が紀元前223年のもので、約2200年前に伐採された木材を使用していることが判明しました。
銅剣(どうけん)
環濠の底から出土した銅剣は、「中細形銅剣」と呼ばれる種類ものです。
滋賀県内では最初の発見で、国内での出土例では最東端の事例になります。この銅剣は、切っ先が通常よりも短いことから、破損したものを研ぎ直したと考えられます。
出土した時の様子
石の武器・狩猟具
弥生時代中期には、さまざまな石器が使用されていました。その種類は、武器や狩猟具から、農具や調理具など日常生活に欠かせないものまで多種にわたります。
下之郷遺跡でも石器が出土しており、武器や狩猟具と考えられるものも多数見つかっています。中でも、矢などの先に取り付けられた「石鏃(せきぞく)」は、打製石鏃(だせいせきぞく)と磨製石鏃(ませいせきぞく)の2種類が出土しています。前者は石を打ち欠いた縄文時代からの伝統を継ぐもの、後者は石を全面に磨いた大陸から伝来したものです。
上段:磨製石鏃
下段:打製石鏃
弥生人のマツリ
弥生時代の集落では、子孫繁栄・稲の豊作などをもとめて、さまざまなマツリが行われたと考えられています。
下之郷遺跡では、木で人をかたどった「木偶(もくぐう)」や、鳥を模した鳥形木製品が環濠から出土しています。木偶は、祖霊をかたどったもので、”祖霊信仰の祭祀”に用いられたと考えられています。鳥は、遠方の祖霊や穀物の精霊を迎え入れる力があったと信じられており、鳥形は”悪霊除け”や豊作を願う祭祀に用いられたのでしょう。